日本古代呪術 陰陽五行と日本原始信仰 (講談社学術文庫)
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によって 吉野 裕子
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内容紹介 古代日本において祭りや重要諸行事を支えた原理とは何か。白鳳期の近江遷都、天武天皇大内陵、高松塚古墳、大嘗祭、さらには沖縄に残る祭祀や伝承に秘められた幾重にも重なる謎を果敢に解きほぐしてゆく吉野民俗学の挑戦。日本原始信仰と陰陽五行思想の習合が生み出した古代日本社会の姿、そして外来思想を享受した古代人の思考と世界観に鋭くせまる。 内容(「BOOK」データベースより) 古代日本において祭りや重要諸行事を支えた原理とは何か。白鳳期の近江遷都、天武天皇大内陵、高松塚古墳、大嘗祭、そして沖縄に残る祭祀や伝承に秘められた謎を解きほぐしてゆく吉野民俗学の挑戦。日本原始信仰と陰陽五行思想の習合が生み出した古代日本社会の姿、そして外来思想を享受した古代人の思考と世界観に鋭くせまる。 著者について 吉野 裕子1916~2008。女子学習院高等科、津田塾大学卒業。民俗学者。文学博士(東京教育大学)。『扇』『祭りの原理』『隠された神々』『陰陽五行思想からみた日本の祭』『陰陽五行と日本の民俗』『大嘗祭』『山の神』『十二支』をはじめとする多数の著作のほかに、「吉野裕子全集」(全12巻)がある。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 吉野/裕子 1916~2008。旧姓赤池。女子学習院、津田塾大学卒業。民俗学者。東京教育大学より文学博士の学位を授与される(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 続きを見る
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吉野民俗学とか、独創性の高い国内最高峰の民俗学者とか、古代の行事の原理などの言葉に惹かれて、ちょっとだけ読んだだけです。(全部を読んでないです)読んだ序章だけででも、(個々の例証の解釈・謎解きではなくて、)個々の例が事実の誤解や類例の少なさや異なる例の多さが目立って、想念・思いつき先行で強引に繋げているだけと思いました。これでは、最近のオカルト好きや謎解きものエンターテインメントと変わらないように感じました。たぶん、最後までは読まないと思います。著者が例に取り上げて解釈を断定している事項の、事項そのものの事実関係や類似事項となることの(類似事例/異事事例)をささーっと見ると、げんなりして、吉野さんの解釈や独創性ってなんだろうという気ばかりします。二項対立併存表現や累積・畳語を好んだというのも中国やアジアなら一般的だし、生死や枯生、循環再生、昼夜四季に強い関心を示したのはおそらく世界中にあること、洞窟や窪が生存と生活の中で重要な意味を持っていたり、闇や夜に強い感情を持っていたのも、世界中のことと思う。昭和以降の日本で普通の中層以下の家庭で生まれ育ったため、大人になって、日本の寺院や海外の寺院神殿や石造の住宅にいって【暗くて、壁ばかりで、深くてまるで穴蔵だなぁ】と感じたことも多い。籠もるのが日本特有ってことはないだろうと根拠もなく勝手に思う。ヘビはどういうわけか、多くの地域の古代に出てくる。ヘビが男根のもどきでもあるというのも、どうなんだろう。私的には亀なら男根のイメージがするけど。世界ではヘビは生死や生命力を象徴し、女神だったり、男女の祖先だったりという例もある。日本ではヘビは男や男根であるとは古代でも限らないだろう。古事記には肥長比売が蛇という逸話もある。太陽の運行の関係で東西軸は多くの地域でそれなりの関心をもって構造物の方位に反映しているが、それを日本特有に見るものはない。家屋というか竪穴式住居で出入口と竈の方位関係が東西方向である例は少ない。[…]仮屋と儀礼というのは面白いと思ったが、不浄・穢れ・死や病が発生しやすいことに対する忌避が、隔離の風習を育て、産屋や殯施設の建造焼却に繋がったとした方が分かり易い。まあ狩りや農耕、伐採、漁労でも作業小屋を作るというのはあたり前の習慣だったろうから、一つの住居で何年も何があっても寝起きしていたというものではないということに意を向けるには、仮屋という言葉はポイントだとは思った。通過儀礼と通常は呼ばれる儀式を中央に戻す(ときが流れるのにあらがって、今の時間帯の中でぐるぐる回りさせる)という発想は実態にそぐわない。宴会や性交、飲食、快楽、勝利や豊漁豊作の喜びがそのまま現状で長く続くのを期待して、そのための儀式を計画実行するというようなことはまずしない。儀式をするとなれば、また次回にも良きことが起きますようにとの祈願儀式だろう。人生や社会組織での儀礼は【このあと】の繁栄や成長、隆盛、勝利であろう。「中央から中央への運動にねじ向け」てしまったら【足踏み、やり直し】になってしまうからそんなことはしないだろう。呪術は【過去や現状からの脱皮】【豊かな実りの謳歌への期待】だろう。新生と脱皮を期待するのは、「中央から中央への運動にねじ向け」「中今への固着」とは考えられないだろう。まあ、考える機会を与えてくれる書としてはイイのだろうが、ちょっと読み続ける気にはなれなかった。
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